Sales Is Dead

もしかすると世間で一番過小評価されている職種はセールスかもしれない。

起業や移住は20代までに思う存分やっとくべき

30代に入ると急速に保守化が進む可能性がある。その最たる理由が独身ではなくなり、子供ができたりする事だ。家族がいるから、という理由で挑戦したりリスクを取らない人の話を聞くと、20代の頃の自分には理解できなかった。むしろ、少々ダサい印象を受けていた。自分で自分の人生の舵取りも出来ないのかと。ところが、今自分が30代後半になり、奥さんと2人の子供を持つとその立場になると、当時のその考え方は独身で若くて失うものが無い怖いもの無しのだった自分の一時的な特権だったということに気がつく。それに家族を養う為に生きていくという考え方も一つの選択であり、嫌々やっている訳でも無いのだと、理解できるようになる。

 

大学を卒業した直後の自分には、有り余る時間と、健康な身体だけが資本だった。貯金は10万円もなかったんじゃ無いかな。あとは、人脈とは程遠い、同世代の悪友たち。彼女との付き合いもマンネリが続いており、別れ話を切り出していた頃だ。当時はADSLやケーブルテレビ回線によるブロードバンドインターネットが普及し始めていた頃。僕はMicrosoft Hotmailを使って東南アジアにある日系企業にメールを送り始めた。新卒ほやほやですが、求人ありませんかと。メール添付で送れる電子レジメ付きだ。慣れないMS Wordで履歴書を作成し、USB接続の安いカメラで顔写真もつけた。今でこそ履歴書などネット上でやりとりするのが当たり前だが、当時は手書きが普通だった。国内の就職活動では何通も手書きで願書みたいな奴を書いてたのを覚えている。

 

手当たり次第に送った求職メールだったが、4-5社の返信があったと思う。国内の大手企業のように3次4次面接みたいな関門はなく、最初っから社長とアポが取れた。僕は格安航空チケット買って現地へ飛んだ。それまで東南アジアを巡る時はTシャツに短パンが基本だったが、今回はバックパックに黒のスーツとワイシャツ、ネクタイも詰めてった。面接は全て大成功だった。現地の日本人管理者の悩みの大半は、ローカルスタッフのマネジメントで、基本的に真面目で元気な日本人が不足している状況だったのだ。会社によっては遅くまで僕のために会食を開いてくれる所もあった。スーツにネクタイで、熱帯都市の喧騒を動き回るのは大変だったが、収穫のある就職活動だったのを覚えている。

 

その数週間後、入社を決めた企業からビザを発行してもらい、現地へ移住することになる。そこから約10年、東南アジアの複数の国に住み、様々な仕事をやる事になる。そこで得た経験は代え難い。語学やビジネスのやり方も全てその期間に培ったものだ。

 

ところが現在、日本で妻と子供と暮らすようになって5年。僕の持ち味である行動力がイマイチ発揮出来ていない。そろそろ、大きな転換を加えたいと思っているのだけど、家族を養う事を念頭に置こうとするので、金銭的な身入りを優先してしまうようになる。ビジネスをやって稼ぐなら日本は手っ取り早く、頑張れば直ぐに平均より上の収入が得られる。一度それを味わうと、収入を落として海外で面白そうな事をやる、というような選択が家族の理解を得られなくなる。保守的になる。

 

10年前のように思い付きで自分の好きなように挑戦できなくなっている。起業しようにも、移住しようにも、金融機関や顧客を説得する前に、まずは家族にプレゼンかまし、理解と協力を得る必要が出ちゃうのである。