Sales Is Dead

もしかすると世間で一番過小評価されている職種はセールスかもしれない。

そもそも金が無ければ生きていけないと思い込まされている事が問題

問題の本質を見誤らないことだ。


それは金に縛られている事。僕だけでは無い。多くの人々が金に人生を操られている。

 

金を得る為であれば何でもする。自分がどれだけ嫌いな事でも。

 

拝金信仰を広めて、大量の奴隷を作り出す事に成功している。

 

金のために自分や家族の人生を犠牲にする人間がこの日本にどれだけいるだろう。

 

綺麗事なんかではない。やりたくない事はやらなくて良いのだ。

 

だがいつの間にか、それが無知でナイーブな子供の考えであるかのようにレッテルを張る風潮がある。

 

苦難に耐え忍んでいる方が大人であると言う。

 

だがそれはただの奴隷が自分の立場を正当化し、自由な人間に対する嫉妬心を打ち消そうとするだけのものに過ぎない。

 

金とはモノやサービスを得るための一つの道具にすぎない。

 

ただ生きるためだけであれば、必要最低限の金など知れている。

BtoBにおける顧客選び

「お客様は神様」が当てはまらないのは、何もコンシューマ向けビジネスだけでは無い。B to Bの取引に於いても、顧客との関係は持ちつ持たれつのパートナーである事を認識するべきだ。

 

顧客の事業が、取引先のモノやサービスを提供された上で成り立っている以上、なりふり構わず自社都合の要求を取引先に強要出来るほど強い立場には無い。

 

それに、無理強いをする顧客には良い取引先は集まらない。結果的にその顧客の事業は衰退するであろう。逆に、取引先の重要性を理解している顧客は、長期的な視点からWin-Winの関係を進んで構築しようする。

 

但し、B to Bのビジネスに於いては、顧客のスタイルや社風、又はタイミングによって、マッチングする取引先が異なる。つまり、同じ業界でもA社にとって良きパートナーとなり得ても、B社には全く合わないという事がある。なので、ソリが合わない顧客と遭遇する可能性はどこにでもある事も理解しておくべきだ。You cannot satisfy everyone.

 

それでも、あらゆる顧客からのフィードバックに常に耳を傾け、自己研鑽を続けて少しでも多くの良きパートナー顧客を作ることが、会社の発展に繋がるであろう。

 

幾らお金があればハッピーになれるか?

貯金を始める理由は人によって様々だと思う。学生時代は車の購入資金とか、海外旅行のためだとか。僕は大学生だった十代後半から二十代前半の頃、日雇いの肉体労働やって十数万円貯めては東南アジアを数週間周遊してた。その時の目標金額は、往復の航空券と滞在費から簡単に弾き出すことができた。だから旅行資金と同じ額があればハッピーだった。欲しいものがあり、その対価がある。それが幸せになれる額だ。

ところが四十代を目前にした今、奥さんと子供二人という家庭を築いた僕は、残りの人生、死ぬまでにかかるコストを考えて呆然としている。それは、家族4人を支える日々の家計、子供の学費、住居にかかる費用、平均寿命80歳としてそれまで続く生活費・・・という具合に試算していけば大まかに出すことができるが、現在の家計をベースにすると、今の貯金にプラスしてざっくり2億3千万円くらい必要な事が分かったのだ。


そしてこの2億数千万という額は、ちょうど平均的なサラリーマンの生涯賃金と同程度なのに気づく。多くのサラリーマンたちは、一生を通じ、会社に雇用される形を通して社会に参加・貢献しないと、家族を養えないよう経済は巧妙に調整されているのだ。僕はもともと労働が嫌いだから、この生涯賃金レベルのお金が目の前にあれば、今すぐ会社をやめて労働から解放される事になる。僕は宝くじは買わないが、ドリームジャンボは日々のキツイ仕事から解放を夢見る人々の心を掴むのかもしれない。

 

(ただ、労働から解放されたとしても、人はその状態にすぐ慣れて、別の幸福を追い求めるのだろうが。僕もそのくらいのことは想像できる。想像できても、僕はまだそこに到達していないから、その先の事などどうでもいい。)

 

 一方で、生涯賃金と同等かそれ以上の資産を短期間で築いた人達もいる。彼らはそれだけの価値を社会に提供し、その対価となる金銭報酬を得る。成功した起業家、トップクラスのアスリートや、世界中で愛されるアーティスト。。共通するのは大勢の人々にインパクトを与えるような価値を創造している事だ。10億から100億円、または1000億円以上の資産を持つビリオネアと呼ばれるような人々がそこへ辿りついたのは、当然のことながら、家計の収支を合わせる事などそもそもの目的ではない。そうであれば、もっと早い段階で努力をやめるであろう。貧乏な出身でリッチになることを決意して、後に資産家となった人もいるだろうが、ある程度の所まで資産形成ができて、それでも上を目指す人々は、それとはもっと別の、何か次元の違う原動力によって突き動かされている。社会変革を促すような事業を計画し、実行し、成功させるような起業家や、大勢の人々に感動を与えるミュージシャンに桁違いの報酬が入るのは当然だ。

 

しかしながら、多くの人にはスケールの大きな計画はない。家賃や子供の教育費などの家計を支えていればそれで良し。自分の事だけで精一杯なのである。だがそれでは、雇用主への奉仕活動を一生続ける羽目になることを肝に命じなければならない。

 

最近では、「高コストな人生を送ろうとするからハードな労働が求められるのだ」と開き直って、低コストな人生で良しとする人々もでてきている。 コストの低い地方や、アジアの国に移住し、ネット上で最低限の生活費を稼ぐということが現実的に可能な時代でもある。ネットは一般市民の味方で、貧者の武器であると言われるが、それはこういうところからもうかがえる。

 

だが家庭を持ってしまうと、なかなかそのような展開に踏み出すのは難しい。都心に住んでいるとやはり人もモノもサービスも充実しているのだ。美味しいものも食べたい。自然に触れたければ週末行けば良い。海外にも良く行く。いつの間にか、高コストな生活になってしまう。。結果、ハードな労働をして稼ぐ必要に迫られる。

 

結論、あと3億円欲しいわ。

過度な緊張感への対処法

 営業の仕事をしていると、少なからず、緊張を感じる場面に遭遇するのではないだろうか。重要な商談に望む時や、観衆の前でプレゼンなど。緊張がマックスになり、俗に言う頭が真っ白な状態になる。営業に限らず何か新しい事や目標に向かって挑戦している人にはつきものかもしれない。

 そんな時はまず第一に、何かにチャレンジしているからこそ、こういった緊張感を覚えるのだということを自覚して欲しい。少し背伸びをして、未知の領域に踏み込み、自分をさらなる成長へ導いているわけです。全く緊張を感じない日々を送っているのであれば、自分の仕事はマンネリ化、ルーティン化されている可能性もある。それでは近い将来、3年後、5年後の自分は今と同じところにいて成長していないかもしれない。

 そして大舞台に臨む際に自信が無くて緊張が自分を襲ってきたら、それは準備不足へのシグナルだと考えれば良い。準備やリハーサルを体が覚えるまできっちりやっておけば、自動運転のように勝手に仕事が進む。十分、準備が済んでいても緊張がとけない事もあるが、その場合残された対処法は場数を踏むだけだ。ガチガチでもいいから2−3回経験してしまう。失敗もまた重要な経験になるだろう。ハナっから失敗を想定して挑めば、事後の精神的ダメージも軽減される。ロケットの発射実験だと思えば良い。宇宙関連事業ではそういった失敗のデータも重要なのだ。準備と経験、この二つがハードルを超えるためのキーワードだ。

 ちなみに、この準備と経験が十分備わると、これが自信に繋がってくる。自信というものは、それだけつけようと思ってつけられる類のものではなく、時間をかけていつの間にか染み付いてくる。たまに、応急処置的に、単に自信そのものを付けようとする方もいるようだが、根拠の無い自信などは一過性の精神状態なのであてにするべきでは無い。酒に酔っているのと対して変わらないかもしれない。また、準備と経験に裏打ちされていない自信は、奢りや過信とも取れる。

 緊張を感じたら、むしろ成長の機会と捉え、本番まで時間があれば徹底的に準備に費やす。既に時間がなければ、もう仕方ない。失敗から学ぶチャンスとして派手に玉砕してこよう。

モチベーションが下がる時の対処方法

 先日、営業職のとある同僚が会社の方針について愚痴を漏らしていた。自分が担当しているアカウント(顧客)の一部が変更になったとの事。よくよく聴いてみると、せっかく構築した顧客との関係が台無しとなるため、強引な担当替えは少々理不尽に見える。「モチベーションが下がった。やってられない!」と捨て台詞を吐いてた。

 一方では、会社側は営業リソースと顧客の見直しが進められており、各営業の能力や経験、人脈などに応じて、担当する顧客の業界や系列を、より適したものにするための改善をしているようだった。各担当からの個別の反論は必至だったが、全体としての最適化を進めるため、そこは強行する。

 

 さて、既存顧客との関係を重視したい担当と、最適化を進める会社側では、正しいのはどちらだろう言えば、各論で言えば前者が正しいかもしれないし、会社全体の戦略目線で言えば、後者の方が正しい。そして、組織においてはハイレベルでの決定事項が優先されるのは致し方がないだろう。

 このような例は会社勤めをしていれば、営業職に限らず良くあるのではないだろうか。自分の中での正義が全体の優先事項にならずに聞き入れてもらえない事など、この社会には数え切れないほど存在する。その度に無力感や悔しさから、「モチベーションが下がって」しまうのだろう。それではこの精神現象に対処するにはどうしたらいいのか。

 一つは、モチベーションなるものは、そもそも役に立たないし、さして必要ない、と知る事。前述の通り理不尽なシチュエーションというのはこの社会で無数に存在するので、その度にネガティブな影響を与えるようでは全く使えない。逆に尊敬する先輩や、気にかけている女性なんかににちょっと声を掛けられただけで、気分が高揚し、モチベーションが上がったりする事がある。結局その程度の事で上がったり下がったりしちゃう、虚ろい易いただの感情なのだ。

 僕はモチベーションが長期的には役に立たない事を知っている。学生時代から複数の会社で営業という販売の仕事に関わって十数年になるが、どの環境でも結果を出してきた。その経験上、モチベーションが決め手だった事は一度もない。

 モチベーションが気持ちを着火し、仕事を推進する原動力として有効かもしれないが、それがないと仕事が手につかないようでは本末転倒である。なので、僕はモチベーションはとうの昔に捨て、代わりに「習慣」を身につけた。習慣とは、決めた事を決めたタイミングで日々淡々とこなすこと。春夏秋冬、雨でも雪でも、疲れていても二日酔いでも、朝起きたら顔を洗って歯を磨くのと同じである。やると決めた日々の仕事については、ただただ、ひたすらやるだけだ。これが、中長期で大きな結果をもたらす事は間違いない。

 

小さな案件をないがしろにしない

僕がダメな営業だなと思う行動の一つに、小さい案件に対して投げやりになる事だ。業態や戦略もあるのだろうが、依頼を持ってきた顧客が感じてしまうほど明らかにテキトーな対応をすると、次は無いと思った方がいい。対応する営業側も、次がなくてもいいのだろうけど、敢えてマイナスの印象を与える必要があるだろうか。内部的にはいざ知らず、対外的には案件の大小も関係なく真摯に応じる姿を見せて置けばよい。もしくは、顧客の印象を下げてまで売買契約せず、自社がフォーカスしている領域は何かを説明した上で、丁寧に断りを入れておく方がはるかにマシである。

 

口コミや紹介の影響力は計り知れないところがある。そして、いい噂よりも悪い噂の方が伝播力が強い場合がある。自分が知らない会社であっても、担当の相手がどこでどう人脈を持っているのか分からないのだから、勝手に判断せず、相手が誰であれ常時プロフェッショナルに対応して行くことが大事だ。

起業や移住は20代までに思う存分やっとくべき

30代に入ると急速に保守化が進む可能性がある。その最たる理由が独身ではなくなり、子供ができたりする事だ。家族がいるから、という理由で挑戦したりリスクを取らない人の話を聞くと、20代の頃の自分には理解できなかった。むしろ、少々ダサい印象を受けていた。自分で自分の人生の舵取りも出来ないのかと。ところが、今自分が30代後半になり、奥さんと2人の子供を持つとその立場になると、当時のその考え方は独身で若くて失うものが無い怖いもの無しのだった自分の一時的な特権だったということに気がつく。それに家族を養う為に生きていくという考え方も一つの選択であり、嫌々やっている訳でも無いのだと、理解できるようになる。

 

大学を卒業した直後の自分には、有り余る時間と、健康な身体だけが資本だった。貯金は10万円もなかったんじゃ無いかな。あとは、人脈とは程遠い、同世代の悪友たち。彼女との付き合いもマンネリが続いており、別れ話を切り出していた頃だ。当時はADSLやケーブルテレビ回線によるブロードバンドインターネットが普及し始めていた頃。僕はMicrosoft Hotmailを使って東南アジアにある日系企業にメールを送り始めた。新卒ほやほやですが、求人ありませんかと。メール添付で送れる電子レジメ付きだ。慣れないMS Wordで履歴書を作成し、USB接続の安いカメラで顔写真もつけた。今でこそ履歴書などネット上でやりとりするのが当たり前だが、当時は手書きが普通だった。国内の就職活動では何通も手書きで願書みたいな奴を書いてたのを覚えている。

 

手当たり次第に送った求職メールだったが、4-5社の返信があったと思う。国内の大手企業のように3次4次面接みたいな関門はなく、最初っから社長とアポが取れた。僕は格安航空チケット買って現地へ飛んだ。それまで東南アジアを巡る時はTシャツに短パンが基本だったが、今回はバックパックに黒のスーツとワイシャツ、ネクタイも詰めてった。面接は全て大成功だった。現地の日本人管理者の悩みの大半は、ローカルスタッフのマネジメントで、基本的に真面目で元気な日本人が不足している状況だったのだ。会社によっては遅くまで僕のために会食を開いてくれる所もあった。スーツにネクタイで、熱帯都市の喧騒を動き回るのは大変だったが、収穫のある就職活動だったのを覚えている。

 

その数週間後、入社を決めた企業からビザを発行してもらい、現地へ移住することになる。そこから約10年、東南アジアの複数の国に住み、様々な仕事をやる事になる。そこで得た経験は代え難い。語学やビジネスのやり方も全てその期間に培ったものだ。

 

ところが現在、日本で妻と子供と暮らすようになって5年。僕の持ち味である行動力がイマイチ発揮出来ていない。そろそろ、大きな転換を加えたいと思っているのだけど、家族を養う事を念頭に置こうとするので、金銭的な身入りを優先してしまうようになる。ビジネスをやって稼ぐなら日本は手っ取り早く、頑張れば直ぐに平均より上の収入が得られる。一度それを味わうと、収入を落として海外で面白そうな事をやる、というような選択が家族の理解を得られなくなる。保守的になる。

 

10年前のように思い付きで自分の好きなように挑戦できなくなっている。起業しようにも、移住しようにも、金融機関や顧客を説得する前に、まずは家族にプレゼンかまし、理解と協力を得る必要が出ちゃうのである。