Sales Is Dead

もしかすると世間で一番過小評価されている職種はセールスかもしれない。

幾らお金があればハッピーになれるか?

貯金を始める理由は人によって様々だと思う。学生時代は車の購入資金とか、海外旅行のためだとか。僕は大学生だった十代後半から二十代前半の頃、日雇いの肉体労働やって十数万円貯めては東南アジアを数週間周遊してた。その時の目標金額は、往復の航空券と滞在費から簡単に弾き出すことができた。だから旅行資金と同じ額があればハッピーだった。欲しいものがあり、その対価がある。それが幸せになれる額だ。

ところが四十代を目前にした今、奥さんと子供二人という家庭を築いた僕は、残りの人生、死ぬまでにかかるコストを考えて呆然としている。それは、家族4人を支える日々の家計、子供の学費、住居にかかる費用、平均寿命80歳としてそれまで続く生活費・・・という具合に試算していけば大まかに出すことができるが、現在の家計をベースにすると、今の貯金にプラスしてざっくり2億3千万円くらい必要な事が分かったのだ。


そしてこの2億数千万という額は、ちょうど平均的なサラリーマンの生涯賃金と同程度なのに気づく。多くのサラリーマンたちは、一生を通じ、会社に雇用される形を通して社会に参加・貢献しないと、家族を養えないよう経済は巧妙に調整されているのだ。僕はもともと労働が嫌いだから、この生涯賃金レベルのお金が目の前にあれば、今すぐ会社をやめて労働から解放される事になる。僕は宝くじは買わないが、ドリームジャンボは日々のキツイ仕事から解放を夢見る人々の心を掴むのかもしれない。

 

(ただ、労働から解放されたとしても、人はその状態にすぐ慣れて、別の幸福を追い求めるのだろうが。僕もそのくらいのことは想像できる。想像できても、僕はまだそこに到達していないから、その先の事などどうでもいい。)

 

 一方で、生涯賃金と同等かそれ以上の資産を短期間で築いた人達もいる。彼らはそれだけの価値を社会に提供し、その対価となる金銭報酬を得る。成功した起業家、トップクラスのアスリートや、世界中で愛されるアーティスト。。共通するのは大勢の人々にインパクトを与えるような価値を創造している事だ。10億から100億円、または1000億円以上の資産を持つビリオネアと呼ばれるような人々がそこへ辿りついたのは、当然のことながら、家計の収支を合わせる事などそもそもの目的ではない。そうであれば、もっと早い段階で努力をやめるであろう。貧乏な出身でリッチになることを決意して、後に資産家となった人もいるだろうが、ある程度の所まで資産形成ができて、それでも上を目指す人々は、それとはもっと別の、何か次元の違う原動力によって突き動かされている。社会変革を促すような事業を計画し、実行し、成功させるような起業家や、大勢の人々に感動を与えるミュージシャンに桁違いの報酬が入るのは当然だ。

 

しかしながら、多くの人にはスケールの大きな計画はない。家賃や子供の教育費などの家計を支えていればそれで良し。自分の事だけで精一杯なのである。だがそれでは、雇用主への奉仕活動を一生続ける羽目になることを肝に命じなければならない。

 

最近では、「高コストな人生を送ろうとするからハードな労働が求められるのだ」と開き直って、低コストな人生で良しとする人々もでてきている。 コストの低い地方や、アジアの国に移住し、ネット上で最低限の生活費を稼ぐということが現実的に可能な時代でもある。ネットは一般市民の味方で、貧者の武器であると言われるが、それはこういうところからもうかがえる。

 

だが家庭を持ってしまうと、なかなかそのような展開に踏み出すのは難しい。都心に住んでいるとやはり人もモノもサービスも充実しているのだ。美味しいものも食べたい。自然に触れたければ週末行けば良い。海外にも良く行く。いつの間にか、高コストな生活になってしまう。。結果、ハードな労働をして稼ぐ必要に迫られる。

 

結論、あと3億円欲しいわ。